デ・ハヴィランド
De Havilland Aircraft


※デ・ハヴィランドは、1934年にイギリスからオーストラリアまで開催されたマックロバートソン・エアレース MacRobertson Air Raceのために、個人バイヤー向けに3機の機体を製造することに同意した。G-ACSPはインド上空で自動車用燃料を使用したためにエンジンに不具合が生じ、レースから脱落。G-ACSRはバグダッドでオイル漏れに見舞われ、遅れをとったが4位に入賞。レース後、G-ACSSはテストのために空軍に引き取られたが、着陸中の事故で墜落。再建されたのち、ふたたび民間機として登録され、複数の所有者の間を渡り歩き、長距離飛行記録を作り続けた。もう1機の民間機DH.88も製造され、ロンドン〜ケープタウン間の記録に挑戦したが、スーダン上空でエンジン・トラブルが発生し、乗員はパラシュートで脱出した。 G-ACSSは現在も飛行中であり、G-ACSPは現在修復中である

↑No. 34“G-ACSS”デ・ハヴィランド・コメット

↑Image courtesy of Shipbucket.
※マックロバートソン・エアレースののち、G-ACSP“ブラック・マジック Black Magic”と無名のG-ACSRはともに外国のバイヤーに売却された。G-ACSPはポルトガル政府に売却され、再登録されて“サラザール Slazar”と改名された。この機体を使ってリスボン〜リオ・デ・ジャネイロ間の速度記録を樹立することが期待されたが、ポルトガルでの離陸中に損傷し、その試みは中止された。エイミー・ジョンソン Amy Johnsonはポルトガルから機体を買い戻そうとしたが失敗し、機体は忘れられたまま格納庫で眠っていた。しかし、この機体は再発見され、現在イギリスのダービーで修復中である。 興味深いことに、G-ACSR“緑色のコメット the green Comet”の飛行レプリカも製造されており、3機のマックロバートソン・コメットが英国でふたたび飛行する日も近いかもしれない

↑Image courtesy of Shipbucket.

※イギリスに戻ったG-ACSRは、ベルギー領コンゴへのクリスマス郵便の配達に使用され、このイヴェントのために“クイーン・アストリッド Queen Astrid”と名付けられた。そののち、フランスに売却され、西アフリカへの郵便機として使用するために機首に荷物室を装備するよう改造された。しかし、積載量が限られていたため、その任務には適さなかった。フランスは、同じく機首に荷物室を備えた別のコメットの製造も発注し、これがレーサーではなく唯一の民間機となった。フランスはコメットを軍用機として使用することを検討したが、イギリス空軍と同様にDH.88は適さないことが判明した。そののち、フランスのコメットは2機ともエタンの格納庫の奥に追いやられた。1940年にドイツ人観光客が撮影した格納庫の写真には、老朽化した2機の機体がはっきりと写っており、占領中に処分されたものと思われる

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 24/06/15