Douglas
- ※B-23は一般に“DC-3の爆撃機版”と見なされているが、実際にはB-18を発展させた機種であり、DC-3の設計から技術的支援を受けた。ただしこれは両機ともダグラス社の設計であったためである。ダグラス社は当初からB-18に大きな期待を寄せており、開発開始時から機体改良計画を進めていた。DB-2とB-18Aが飛行する中、DB-3、DB-4、DB-5は設計図の段階にとどまり、異なる主翼とエンジンの組み合わせ、機首・背部銃のヴァリエーションを特徴としていた。B-22におけるR-2600エンジンへの換装は、米陸軍航空軍団(USAAC)の指定番号まで取得した最も重要な改修案であり、ダグラス社はUSAACに却下されたあともこれを放棄しようとはしなかった。ダグラス社は設計を完成させ生産に移すべく作業を継続し、1938年12月にはドナルド・ダグラスとハップ・アーノルド大将 General Hap Arnoldが直接会談。改良・強化されたB-22が、当初B-18Aに割り当てられていた最終生産ロットを引き継ぐことが承認された。通常の手続きを逸脱して、アーノルド将軍は自らこの航空機を承認し、さらに改訂設計が元のB-22仕様から十分に異なるため新たな名称を付与すべきと判断した。こうして本機はB-23となった。上司が機体を承認したにもかかわらず、陸軍航空軍団はこれに反発し、1939年2月までに“大量発注を正当化する性能不足”を理由にB-23の生産はわずか38機に限定される運命となった

↑B-23ドラゴン
Update 25/11/01