Douglas
- ※社内呼称モデル415A
- ※大陸間輸送機のような重要なプロジェクトは、米軍のみならず、広く関心を集めていた。第二次大戦のさなかでさえ、パンナムは戦後の将来像を描いていた。大型旅客機のプロジェクトはすべてパンナムの設計に携わっており、1944年にはダグラス社に26機の発注を行った。ダグラス社は既にC-112と民間機版DC-6の開発に着手していたため、この新型民間機グローブマスターにはDC-7という名称が与えられた。C-74の民間版は、軍用機とはいくつかの重要な点で異なっていましたが、全て機体内部の仕様に関するものだった。興味深いことに、DC-4は与圧式ではなかったが、与圧オプション(どの顧客も採用しなかった)が用意されていた。米軍はC-112/DC-6には与圧式を要請していたが、C-74には要請していなかった。与圧技術はまだ非常に新しい技術だったため、C-74の大型貨物ドアとハッチは、この可能性を制限するものだった(と考えられていた)可能性がる。しかし、貨物ドアのない民間ヴァージョンは、108人の乗客を乗せて大陸間輸送の贅沢を実現するために与圧される予定だった。窓の配置も異なり、ラウンジ・バー、ダイニング・ルーム、寝室を反映していた。しかし、設計プロセスが現実味を帯びてきたのは、1946年初めに軍との契約がキャンセルされ、ダグラスがDC-7の単価を値上げせざるを得なくなった時だった。価格が$1500,000近くにまで高騰したため、パンナムは注文をキャンセルし、グローブマスターは廃止された。ただし、DC-7という名称はのちに再利用された。ダグラスは、パンナムの塗装と戦闘機スタイルのツイン・パイロット・キャノピーを備えたDC-7の宣伝用図面を作成した。パンナムがこれを受け入れたとは思えない。むしろ、全てのDC-7に標準的な旅客機のコックピット配置を要求したはず。そうすれば、C-74に採用された“バグ・アイ”や大まかな改良型キャノピーは採用されなかったであろう
Update 25/09/18