ダグラス・エアクフト社
Douglas


※ダグラス社のモットーである“First Around The World”を実現した機体。1923年にアメリカ陸軍航空部 United States Army Air Serviceは、世界一周飛行の達成を争うレースにアメリカ軍として挑戦することを検討する事にした。ダグラス社のDT-2クラウドスター Cloudsterがこの任務に最も適した機体であり、ダグラス社はDWCとして浮き輪と車輪の両方に適した改良型を提案した。4機とスペアの契約が結ばれ、最後の1機が1924年3月11日に引き渡された。飛行に備え、世界各地に予備機(エンジン15基、フロート14セット、予備機として分解された2機を含む)とサポートが配置された。1924年3月17日、サンタ・モニカ Santa Monicaからシアトル Seattleに向けて飛行が開始された。シアトルでは機体にフロートが装着された。霧による遅延のため、4月4日にアラスカに到着したのが最初の飛行となった。1号機“シアトル”は霧のため墜落、破壊されたが、幸いにも死者は出なかった。ソヴィエトから上空飛行の許可が下りなかったため、洋上でタンカーに給油してもらい、日本、韓国、インドシナを経てカルカッタに到着した。車輪を装着した機体は中東、ヨーロッパを経て、イギリス北部で再びフロートを装着し、大西洋横断に臨んだ。3号機“ボストン Boston”はオイル・ポンプが故障し、大西洋に不時着した。数時間後、機体はアメリカの軽巡洋艦に救助され、岸まで曳航されようとした。しかし、荒波のため、安全な港からわずか1マイルのところで転覆してしまった。残りの2機は、アイスランドとグリーンランドを経由し、エンジン交換を行った。ノヴァ・スコシア Nova Scotiaでは車輪を交換し、DWCのプロトタイプは、不時着した“ボストン”の乗組員によって残りの2機と合流するために空輸された。ワシントンまで下った機体は、その後アメリカを横断し、9月28日にシアトルに戻ってきた。飛行日数175日、飛行距離46,580q、飛行時間371時間のフライトであった。無事飛行を終えた2機は、いずれも博物館に寄贈された

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/05/06