S.V.イリユーシン記念試作設計局(現公共株式会社S.V.イリユーシン記念航空複合体)
Ilyushin


↑Image courtesy of Shipbucket.

※イリューシンIl-86は、極めて異色かつ興味深い航空機だ。ソヴィエト圏で初めて開発されたワイドボディ機である同機は、末期のソヴィエトがいかに西側諸国に遅れをとっていたかを象徴する存在だった。その“極めて西側的な”設計は、西側諸国の航空機を意図的に模倣しようとした結果生まれたものでした。そこには、ボーイング747計画の責任者であったジョー・サッター Joe SutterがIl-86の設計に協力する代わりに、ボーイングが計画していた(最終的に中止された)超音速旅客機2707に必要なチタン製機体構造に関する情報を入手するという秘密の会合さえ含まれていた。もっとも、ソヴィエトのプロパガンダ機関はこうした会合の事実を激しく否定した。ソヴィエトの科学技術こそが、西側の資本主義的な“たわごと”よりも明らかに優れているとされていたからだ。Il-86に搭載されたクズネツォフNK-86(低バイパス比ターボファン・エンジン)は、出力不足で騒音が大きく、技術的にも時代遅れな代物だった。燃費も極めて悪く、航続距離はわずか2,700浬(約5,000km)に制限されていた。そのため、イリューシンの技術者たちでさえ、Il-86を実用的な長距離機にする唯一の方法は、西側製のCF6-50エンジンに換装することだと結論づけていた。 ゴルバチョフ Gorbachevによる改革、そしてそれに続くソヴィエト崩壊を経て、西側製エンジンへの換装案が浮上する政治的土壌が整った。これは東西協力の証であると同時に、新たな市場に押し寄せる西側諸国の航空機に対抗し、Il-86の運用を継続させるための手段でもあった。1986年にはロールスロイス製RB211-22への換装案が最初に提示され、1991年にはエアバスA340に搭載され(悪)名高いCFM56-5Cが候補に挙がった。さらに1995年には、IAEがV2500エンジンを提案したが、当時Il-86を運用していた数多くの航空会社(いわゆる“ベビーフロート”)は経営状態が悪く、破綻寸前であったため、その導入コストはあまりに高額すぎると判断し、採用には至らなかった

↑Image courtesy of Shipbucket.

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Update 26/09/05