ユンカース航空機・発動機製作株式会社
JUNKERS


※ユンカースK47は、1920年代後半にドイツのユンカース社のスウェーデン法人がスウェーデンで開発した2人乗り戦闘機で、その民間発展型がA48とされた。ヴェルサイユ条約によりドイツ国内での使用が禁止された軍用機であるため、当初はスウェーデンで製造された。運用されたのは中華民国(南京政府)だけで、1931年に10機購入し、1934年にさらに1機贈られた(最後の1機は、資金提供した工場の名前をとって“ティエン・チュウフー1号 T'ien C'hu No. 1”と名付けられた。1932年の上海事変の勃発に伴い、中国空軍は上海虹橋飛行場 Shanghai Hongqiao Aerodromeと杭州橋脚基地 Hangzhou Qiaosi Airbaseに各種戦闘攻撃機を派遣し、日本海軍は航空母艦鳳翔と加賀から航空機を派遣した。中島三式艦上戦闘機三菱一三式艦上攻撃機からなる15機編隊の奇襲を受け、中国のユンカースK47のパイロット石芳帆 Shi Bangfanと後部座席の銃手沈雁石 Shen Yanshiは、日本軍の襲撃が始まった喬石 Qiaosiから離陸することができた。銃手沈の銃が詰まったが、パイロット石は日本軍とドッグファイトし続け、結局パイロット石は撃たれてエンジンを損傷し、ユンカースを強制着陸させることになった

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/04/23