Lockheed Corporation
- ロッキード社(現ロッキード・マーチン社)製 初飛行:1946年11月9日(R6O) R6Oデータ=全幅:57.64m 全長:47.57m 全高:15.35m 翼面積:335m² 空虚運用重量:51,970kg 最大離陸重量:83,461kg パワープラント:定格出力3,500hp(2,600kW)のプラット&ホイットニー製R-4360-22W星型エンジン4基 最高速度(6,100m):490km/h 巡航速度:420km/h 上昇率:307.84m/min 実用上昇限度:8,400m 航続距離:10,100km(2,409kmという資料もあり) 乗員:12名 ペイロード:168名
※真珠湾攻撃後、米国が大陸横断戦争に巻き込まれる中、陸軍航空軍と海軍はともに、戦争をアメリカ大陸から欧州・アジアへ拡大させるための大型輸送機を発注した。米海軍は巨大飛行艇を保有し、パンアメリカン航空の支援を得て陸上機として単一の機種を採用した。それがロッキード社モデル89、R6O-1コンスティチューションである。同社はモデル49コンスティチューションを基に、新型機の輸送能力を最適化するため、二重バブル胴体設計を採用した。これにより単一大型キャビンに内在する無駄な空間を最小化しつつ、積載容量を最大化したのである。設計初期段階で、当初のコンステレーション式三重尾翼配置は廃止され、単一の大型尾翼が採用された。当初の契約は50機分だったが、ロッキードはコンスティチューションの尾翼を収容できる高さの巨大な製造用格納庫を建設した。最初のコンスティチューションが完成したのは1946年であり、第二次大戦の終結により発注数は開発機2機にまで削減されていた。すぐにコンスティチューションの出力不足が明らかとなり、エンジン・モデルをアップグレードしても、この航空機は常に出力不足に悩まされることとなった。わずか2機の機体で構成される艦隊では、コンスティチューションの可能性は極めて限定的であったが、それでも航空機は米国全土で定期便の運航に用いられた。2機目はさらに、米海軍の宣伝・募集ツールとして活用され、特別な“ユア・ネイヴィー・エア・アンド・シー Your Navy Air and Sea”塗装を施された。わずか3年の運用後、米海軍はコンスティチューションの運用継続が財政的に困難と判断し、航空会社への5年間のリース提案を行った。しかし民間からの関心は得られず、ロッキードの機体記号変更に伴いR6OからR6Vへ変更されたコンスティチューションは、1953年に最終的に退役した。退役後、最初のコンスティチューションはラス・ヴェガスに移送され、アラモFBOの広告看板として長年設置されたが、最終的に解体された。2機目は保険金詐欺事件に巻き込まれた模様である。欧州へのチャーター便就航に向け準備中とされたが、フロリダでの移送準備中に2度の不審な内部火災が発生し、全損扱いとなった。保険会社は火災の“事故”性を認めず、保険金の支払いを拒否したため、機体も解体処分となった
※下はロッキード・コンスティチューション未製造モデル。ロッキード・コンスティチューションは、軍用機としても民間機としても普及しなかった。しかし、コンステレーションと同様に、ロッキードは一連の開発設計を製作したが、いずれも設計図の段階を超えることはなかった。当初のL-89コンスティチューションは、追加の開発モデルが提案されるにつれて、元のコンステレーションがL-49からL-049に変更されたのと同様の方法で、おそらくL-089に改称されていただろう
↑Image courtesy of Shipbucket.
Update 26/03/08