ダグラス・エアクフト社
Douglas


※ピストン・エンジンの時代は終わりを告げ、ダグラスはターボプロップ機の開発にようやく足を踏み入れたばかりだった。軍用機C-133は特に成功せず、DC-7Dは生産開始前にDC-8に取って代わられた。ボーイングがC-135を通じて米軍から事実上707の開発資金援助を得たことに倣い、ダグラスはDC-8ベースの輸送機を生産に持ち込もうとした。1960年に米空軍が要求した27t級ジェット輸送機に対し、ダグラス社はC-132のダブルバブル胴体コンセプトを踏襲。ただし今回はDC-8の胴体を上部バブルとし、下部には貨物室用の大型バブルを配置した。同社は軍用・民間両市場での販売を強く期待し、両認証基準を満たす設計を採用した。同機は民間販売も視野に入れたロッキードL-300と競合したが、1961年にケネディ新大統領 President Kennedyの最初の決定としてロッキード設計のC-141が生産発注された。軍用契約を失ったダグラス設計は中止となった

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 25/11/16