Panzerkampfwagen
| アイコン | 意味 |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
| スペック | E-100 |
| 重量 | 123.5t |
| 全長 | |
| 車体長 | 8.69m |
| 全幅 | 4.48m |
| 全高 | 3.32m |
| エンジン | マイバッハ製V型60゚ 12気筒HL230P30 |
| サスペンション | |
| 出力 | |
| 出力重量比 | |
| 最高速 | 路上20km/h |
| 航続距離 | 一般道120km |
| 携行燃料 | 1,200リットル |
| 主武装 | 174mm戦車砲または150mm戦車砲 (最終的に128mm KwK44 L/55戦車砲) 75mm L/24戦車砲 7.92mm MG34 1挺 |
| 装甲 | 240mm(砲塔前面) 200mm(砲塔側面) 200mm(砲塔後背部) 200mm(下部車体前面) 120mm(下部車体側面) 150mm(下部車体後背部) |
| 乗員 | 6名 |
- ※E-100の最も初期の祖先にあたるのがティーガーマウス(Tiger-Maus)。これはマウスを簡略化した車両として構想されていた。ティーガーマウスが実際に製造されることはなかったが、ティーガーI(H型)の構成部品と、マウスの砲塔を若干改修したものを流用する計画だった。E-100は、ポルシェ社が設計したものの試作のみに終わったマウスの後継として計画された超重戦車だった。1944年にE-100の試作車の開発・製造が開始されたが、アドルフ・ヒトラー Adolf Hitlerがマウスの開発中止を命じたのち、その計画の大部分は放棄された。完成したのは車体のみだった。その車体は評価試験のためにイギリスへ運ばれ、最終的に廃棄処分となった。開発初期にはマウスの砲塔をE-100に搭載する計画だったが、のちにマウスII Maus II用の改修型砲塔を使用する案が提示された。この砲塔には、128mm KwK44 L/55(弾薬数75発)と7.5cm KwK37 L/24が搭載される予定だった。
「Panzer Tracts 6-3」によれば、E-100に15cm KwK44 L/38を搭載する案も存在した。米軍の専門誌
「Armor」の1959年1月・2月合併号でも、第二次大戦中にE-100への150mm砲搭載が検討されていたことが報じられている。このことはアンソニー・タッカー=ジョーンズ Anthony Tucker-Jonesによっても報告されている。ケネス・エステス Kenneth Estesによれば、E-100には150mm砲やさらには170mm砲を搭載する案も出されていた。しかし、アドラー社の技術部長兼主任設計者であったカール・イェンシュケ博士 Dr. Karl Jenschkeは、砲塔内のスペースがそれらの火器を収容できないため、そのような大口径砲の搭載は、突撃砲型(Sturmgeschütz E100)においてのみ可能であると考えていたと、エステスは報告している
- ※参考文献
- 「特殊戦闘車両」大日本絵画(2002年)
- ウィキペディア
Update 26/09/26