ロッキード
Lockheed Corporation


ロッキード社/ボーイング社/ジェネラル・ダイナミックス社フォート・ワース部門(現ロッキード・マーチン社/ボーイング社)製 初飛行:1990年9月29日(YF-22A初号機) F-22Aデータ=全幅:13.56m 全長:18.92m 全高:5.00m 翼面積:78.04m² 空虚運用重量(推定値):14,365kg 最大離陸重量(推定値):約27,126kg パワープラント:アフターバーナー使用時定格推力155.69kNのプラット&ホイットニー製F119-PW-100ターボファン・エンジン2基 飛行最大速度:1,862km/h(推定値、高度9,144m、アフターバーナー使用時)、1,677km/h(推定値、高度10,972m、アフターバーナーを使用しない超音速巡航時) 制限マッハ数:1.7(推定値、高度9,144m、アフターバーナー使用時)、1.58(推定値、高度10,972m、アフターバーナーを使用しない超音速巡航時) 実用上昇限度(推定値):15,240m 戦闘行動半径:1,200km 兵装:機関砲:M61A2ヴァルカン20mm回転式機関砲1門 空対空ミサイル:AIM-120 AMRAAM、AIM-9サイドワインダー 精密誘導兵器(PGM)、無誘導弾薬:9,072kgの投棄可能兵装を主翼下4ヶ所のハードポイントに携行 乗員:1名
※社内呼称モデル645(L-645)
※1991年、空軍の先進戦術戦闘機(Advanced Tactical Fighter: ATF)にYF-22Aが選定された。当然、海軍先進戦術戦闘機(Naval Advanced Tactical Fighter: NATF)計画もF-22をベースに進む予定だったが、国防予算削減のあおりを受けて空海軍の同時開発を断念した。空軍向けのF-22の開発は先行され、海軍型の開発着手は先送りされたのちに消え去った
※当時、ロッキード社が提案してした海軍型は、F-14のように可変後退翼を採用している
※F-22は、2002年9月17日にF/A-22と制式名称を改めた(公式文書では“F/A-22”ではなく“FA-22”)が、2005年12月13日に制式名称をF-22にもどす
※ステルスの歴史は、ピョートル Y. ウフィムツェフというロシア人学者が1950年代後半に、新しいレーダー断面積(RCS)解析法を編み出す。これを物理光学的解析理論という(ようするにエッジの角度によって物理光を逸らすこと)。彼の理論はソヴィエト物理学会に発表される。しかし、専門家以外誰にも注目されず、ソヴィエト当局も機密指定にもしなかった。1971年、物理光学的解析理論はアメリカ空軍ライトパターソン基地内の研究所が、ロシア語から英語に翻訳して発表。1975年、この理論をロッキード社のレーダー専門家が注目。そしてステルス機開発に乗り出した。ちなみに飛行機を肉眼で見えなくする研究は1913年に、当時のアメリカ陸軍省が行っている。高度300mで、飛行中に肉眼で発見できないようにするというのが目標。機体の骨組みに羽布の代わりに、透明なセルロイドを貼ることを試みた
※2023年2月4日午後2時39分(アメリカ東部時間)、ヴァージニア州 Commonwealth of Virginiaのラングリーユースティス統合基地 Joint Base Langley-Eustisの第1戦闘航空団 1st Fighter WingのF-22が、サウス・カロライナ州 State of South Carolina沖でスパイ気球の撃墜に成功。ラプターは幅約90フィート(約27.43m)の気球にAIM-9Xサイドワインダーを1発発射し、大西洋に向かって落下させた。マサチューセッツ州バーンズ空軍州兵基地 Barnes Air National Guard BaseのF-15と複数の空中給油機が支援した。アメリカ国防総省、軍当局者は記者団へのブリーフィングで、F-22が5万8,000フィート(17,678.4m)からサイドワインダーを発射し、約60,000~65,000フィート(約18,288~19,812m)で活動する気球に命中させたと発表した。F-22としては初めての空対空でのテイクダウンであることが知られている。気球が大西洋上空を漂う中、コールサイン“FRANK 01”を使用するラングリーのF-22がついに気球を落下させた。アメリカ北方軍(U.S. Northern Command: USNORTHCOM)の広報担当者は、このコールサインは第一次大戦のエースで名誉勲章 Medal of Honorを受章したフランク・ルーク・ジュニア中尉 Lt. Frank Luke, Jr. へのオマージュであると述べてる。ルークは17日間で14機の帝政ドイツ軍の気球を破壊し、“アリゾナ・バルーン・バスター Arizona Balloon Buster”の異名をとった。アリゾナ州 State of Arizonaのルーク空軍基地 Luke AFBは、ルークにちなんで名づけられた。ラプターがAIM-120 AMRAAMを使わなかったのは、AMRAAMは弾頭が大きいため“安全性を考慮”し、AIM-9Xを優先したとグレン D. ヴァンヘルク空軍大将 General Glen D. VanHerckは説明した。ヴァンヘルク大将はまた、その高度で空対空の他の交戦が発生したことを知らなかったと述べた。ヴァンヘルク大将は、F-22が撃墜を示す黒い風船を側面に描くべきかどうかは、ラングリーの第1戦闘航空団に任されていると述べた(12
↑F-22A

↑PHILIPPINE SEA (Sept. 24, 2013) - An Air Force F-22 Raptor from the 27th Expeditionary Fighter Squadron acts as a low observable aircraft during a detect to engage training exercise over the guided-missile destroyer USS Preble. Preble is on patrol with the George Washington Carrier Strike Group in the U.S. 7th Fleet area of responsibility supporting security and stability in the Indo-Asia-Pacific region. U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class Paul Kelly. (Released)

↑VIRGINIA BEACH, Va. (Sept. 21, 2008) - An F-22 Raptor shows the crowd how it remains stealthy while carrying weapons in flight by cycling it's weapons bay doors during the 50th Anniversary Naval Air Station Oceana Air Show. The three-day event marked 50 years of air shows at NAS Oceana and included performances by the Navy's flight demonstration team the Blue Angels and the Navy's parachute jump team, the Leap Frogs, as well as a variety of aerial demonstrations and static displays of military and civilian aircraft. U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 1st Class Edward I. Fagg. (Released)
↑Another possible NATF design. Image courtesy of F-16.net.

※下の画像はF-22の派生型戦闘爆撃機(暫定爆撃プラットフォーム)として、アメリカ空軍に提案されるもコストなどの理由から計画中止となったFB-22。さらに下は機種転換訓練などに用いられる複座型F-22B。1996年に冷戦の終結に伴う国防費の予算縮小や開発費の高騰、シミュレータでの代用が可能となったために開発を中止

※提案するも採用されなかった国々及び型(技術漏えいを懸念したアメリカ政府がF-22の輸出を禁止した)


Update 23/08/10