ダグラス・エアクフト社
Douglas


↑Image courtesy of Shipbucket.
※ダグラスの製造・設計リソースが改良型DC-4に投入されたため、当然のことながら、この旅客機を戦闘機型へと改良することにも注目が集まった。ダグラスはつい最近、モデル332爆撃機の開発を断念し、ボーイングのB-29に開発を委託されたばかりだった。そして、この失敗作の特徴を活かして旅客機の設計を改良した。モデル412はDC-4への変更は最小限にとどまり、当初計画されていた爆撃機と同じ遠隔式背部、腹側、尾部銃座を備え、DC-4のプラット&ホイットニーR-2000エンジンではなく、A-20ハヴォックと同じライトR-2600エンジンを搭載していた。この航空機に関する公的な知識はほとんどなく、USAAC(アメリカ陸軍航空軍団)の公式名称も付与されていないようだった。USAACの文書では単に“DC-4爆撃機”と呼ばれている。真珠湾攻撃まで、この航空機の生産と配備計画は非常に進んでいたため、これはむしろ驚くべきことだった。ホワイト・ハウスに宛てられた公式書簡では、USAACの開戦直前の拡張計画では6,000機の爆撃機が必要となり、月産500機の新規生産が必要となることが確認されている。挙げられている機種は、B-17、B-19A、B-24、B-29、B-32、そしてDC-4爆撃機。ダグラス社のサンタ・モニカ工場に500機のDC-4爆撃機の発注があり、1942年度と1943年度に納入されることが記録されている。また、ロッキード社のヴェガ工場では、B-17またはDC-4爆撃機のいずれかをさらに309機製造することになっていた。A-20ハヴォックの生産を月産90機削減し、代わりにDC-4爆撃機50機を生産することで、エンジンを配分するという計画さえあった。しかし、真珠湾攻撃が起こった。突如としてアメリカの優先順位は変わり、既存の爆撃機と大差のない新型爆撃機の開発に必要な時間と資源は、既に生産ラインから出荷されている機体の微調整に充てるべきだと判断され、今や宣戦布告された世界大戦において、大幅な前進となる機体の設計に充てられた

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 25/09/27