ダグラス・エアクフト社
Douglas


※民間航空機を戦闘機に転用することは、ダグラス社をはじめとするメーカーにとって目新しいことではなかった。しかし、任務の根本的な変更のための再設計は、往々にして、新しい任務を十分に遂行するにはあまりにも欠陥のある機体を生み出した。ドイツでは、フォッケウルフ社がコンドル Condorを改良し、長距離海上哨戒機として改造した。これは軍用機の改造としては比較的小規模な改修だったが、初期のコンドルは機体の背骨を損傷という悪名高い問題を抱えており、元の民間機設計には考慮されていなかった機体の過度の疲労にも悩まされていた。ダグラス社は既にDC-2の爆撃機版としてDB-1、DB-2、B-18、B-22ボロ Boloを製造していた。これらの機体はせいぜい平凡な出来で、DC-3を大まかにベースにしたB-23 ドラゴン Dragonの改良版も、当時の爆撃機設計と比較すると期待外れだった。DC-4(オリジナル)が設計を後援した航空会社に拒否されたため、ダグラス社は投資回収策を模索した。機体自体は日本に売却され、そこでひそかに分解・再設計され、失敗作となった中島飛行機の陸上攻撃機深山(G5N)が誕生した。ダグラス社はこの日本の計画を知らなかったが、全く同じ作業に着手した。ダグラス社はDC-4の爆撃機版としてモデル300 DB-4(ダグラス・ボマー4)を提案。DB-4がDC-4を祖としていることは明らかだが、いくつか重要な変更が加えられている。B-17を参考に、防御兵装は強化され、上下に2基の動力付き銃座が備えられ。射界を広くするため中央尾翼は削除され、その分を補うために両尾翼が大型化された。しかし、ダグラスにとって残念なことに、DC-4を沈没させた主要因、すなわちその電気機械の複雑さは、むしろDB-4の特徴でもあった。ほかのメーカーが専用爆撃機を設計している中でDC-4を改良していたダグラスは、その努力を無駄にし、DB-4はDC-4以上に失敗に終わり、試作機すら就役しなかった

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 25/09/23