Hawker
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force: RAAF)は第二次大戦中、数多くのホーカー・ハリケーンを運用したが、実際にオーストラリアに渡ったのは1機だけだった。ハリケーンMk. I Trop. V7476は1941年半ばにオーストラリアに輸送され、8月23日にシドニーに到着した。中央飛行学校 Central Flying Schoolに配属されたV7476は、主にRAAFの新米パイロットに“近代的な”戦闘機に慣れ親しんでもらうために使われ、のちには空気圧式対Gスーツなどの新技術のテストにも使われた。V7476は、第1通信飛行隊 1 Communication Flightや第2通信飛行隊 2 Communication Flightをはじめとするいくつかの部隊を経て、1945年1月に中央飛行学校に戻されたが、スピットファイア、マスタング、トマホークが導入されたため、珍品に過ぎなかった。ポイント・クック豪空軍基地 RAAF Base Point Cookに放置されたV7476は、最終的に1946年にスクラップされた。キャプション一番上のスキームは、引き渡しからわずか6日後の1941年8月29日のV7476で、まだオリジナルのRAF迷彩をまとっている。スキーム2は、スカイ・ブルー sky blueにフォリッジ・グリーン foliage greenとアース・ブラウン earth brownのRAAF標準作戦スキームのV7476を示している。多くの資料では、V7476はこの時期、スカイ・ブルーにフォリッジ・グリーンだけだったとされているが、再塗装された当時、機体は第1航空機補給処 1 Aircraft Depotに配属されていた(そして、常備命令は3トーン・スキーム three tone schemeを要求していた)ため、これはありえない。 最終的なスキームは、1945〜1946年にポイント・クックに駐機していたV7476が、RAAFのマーキングが入ったベア・メタル・スキーム bear metal scheme塗装を示している
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- ※ホーカー戦闘機を主力とする空軍において、1939年にイランの次期戦闘機としてハリケーンが選ばれたのは明らかであった。ハリケーンMk. I 30機の発注につながるもヨーロッパで戦争が始まったため、イギリスは1940年3月以降に15機だけ放出することに同意した。しかし、必要な熱帯用エア・フィルターの開発に時間がかかったため、発注はさらに遅れた。1940年12月、ついにイギリスは発注をキャンセルした。一方、ハリケーンは1941年初め、英国から供給された部品からイランのシャフバズ航空機工場 Shahbaz Aircraft Factoryで現地生産されることが決定された。中東情勢が緊迫化するにつれ、部品や資材の供給は滞り、ついに8月には輸出許可が取り消された。イギリスの遅れにより、1939年11月にイランの代表団がアメリカに派遣され、代わりに10機のカーチスH-75A-9ホーク戦闘機を発注した。図版は1941年イラン・カラーのハリケーンMk. I Trop. である
- ※ラトヴィアは1939年に30機のハリケーンを発注し、代金を支払ったが、戦争が勃発したため、1機も納入される前に発注が中止された
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Update 24/06/26