ノース・アメリカン
North American

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


※社内呼称モデル73(NA-73)

↑イギリス空軍所属マスタングMk. I[P-51A]

↑P-51B
↑日本軍所属P-51(元アメリカ陸軍航空軍第14航空軍第311戦闘航空団所属機)

↑P-51D

↑P-51H

↑A-36

↑Image courtesy of Shipbucket.

※CAC製マスタングの生産開始に先立ち、オーストラリア空軍は米国製のP-51DとP-51K、そして写真偵察機F-6を多数受領した。到着が遅すぎて第二次世界大戦で活躍することはできなかったが、終戦後、占領下の日本で英連邦進駐軍として活躍した

↑Image courtesy of Shipbucket.

↑Image courtesy of Shipbucket.
Block No. シリアル・ナンバー(s/n)
()内は製造番号
機数、備考1 備考2
XP-51 41-038、41-039
(c/n 73-3101、73-3107)
◎2機
P-51 41-37320〜41-37469
(c/n 91-11981〜91-12130)
◎150機 ◎41-37352はFD450としてイギリス空軍に引き渡される予定だったが、XP-78として改造された。 のちにXP-51B(NA-101)に改称
A-36A 42-83663〜42-84162
(c/n 97-15881〜97-16380)
◎500機
P-51C-1-NT 42-102979〜42-103328
(c/n 103-22416〜103-22765)
◎350機
P-51C-5-NT 42-103329〜42-103778
(c/n 103-22766〜103-22815、103-25933〜103-26332)
◎450機
P-51C-10-NT 42-103779〜42-103978
(c/n 103-26333〜103-26532)
◎200機
P-51B-10-NA 42-106429〜42-106540
(c/n 104-25231〜104-25342)
◎112機 42-106539、42-106540はXP-51Dマスタングに改造
P-51B-10-NA 42-106541〜42-106738
(c/n 104-25343〜104-25540)
◎198機
P-51B-15-NA 42-106739〜42-106978
(c/n 104-25541〜104-25780)
◎600機
P-51A-1-NA 43-6003〜43-6102
(c/n 104-25541〜104-25780)
◎100機
P-51A-5 43-6103〜43-6157
(c/n 99-22206〜99-22260)
◎55機
P-51A-10 43-6158〜43-6312
(c/n 99-22261〜99-22415)
◎155機
P-51B-5 43-6313 ... 43-7112
(c/n 104-22816〜104-23305、104-24431〜104-24540、104-24941〜104-25140)
◎800機 43-6563〜43-7112はP-51B-7-NAに改造
P-51B-10-NA 43-7113〜43-7202
(c/n 104-25141〜104-25230)
◎90機
P-51B-1-NA 43-12093〜43-12492
(c/n 102-24541〜102-2494)
◎400機 43-12101はP-51Dスタンダードに改造
P-51B-15-NA 43-24752〜43-24901
(c/n 104-25781〜104-25930)
◎150機
P-51C-10-NT 43-24902〜43-25251
(c/n 103-26533〜103-26882)
◎350機
XP-51F 43-43332〜43-43334
(c/n 105-26883〜104-26885)
◎3機
XP-51G 43-43335、43-43336
(c/n 105-25931、25932)
◎2機
P-51C-10-NT 44-10753〜44-10782
(c/n 111-28886〜111-28915)
◎30機
P-51C-11-NT 44-10783〜44-10817
(c/n 111-28916〜111-28950)
◎35機
P-51C-10-NT 44-10818〜44-10852
(c/n 111-28951〜111-28985)
◎35機
P-51C-11-NT 44-10853〜44-10858
(c/n 111-28986〜111-28991)
◎6機
P-51C-10-NT 44-10859〜44-11036
(c/n 111-28992〜111-29169)
◎178機
P-51C-11-NT 44-11037〜44-11122
(c/n 111-29170〜111-29255)
◎86機
P-51C-10-NT 44-11123〜44-11152
(c/n 111-29256〜111-29285)
◎30機
P-51D-5-NT 44-11153〜44-11352
(c/n 111-29286〜111-29485)
◎200機
P-51K-1-NT 44-11353〜44-11552
(c/n 111-29486〜111-29685)
◎200機
P-51K-5-NT 44-11553〜44-11952
(c/n 111-29686〜111-30085)
◎400機
P-51K-10-NT 44-11953〜44-12552
(c/n 111-30086〜111-30685)
◎600機
P-51K-15-NT 44-12553〜44-12852
(c/n 111-30686〜111-30885、111-36036〜111-36135)
◎300機 44-12840(c/n 111-36123)をF-6Kに改造。No. N51EWとしてカリフォルニア州ロサンゼルスのValhalla Aviationに民間登録。1976年にイリノイ州マンデリン Mundeleinのヴィクトリー・エア・ミュージアム Victory Air Museumにて。1987年にカリフォルニア州シルマー SylmarのJ. カスペロフ J. Kasperoffで報告されている。1997年にCal Pacific AirmotiveのArt Teetersによってレストアが完了。1998年にオシュコシュにてベストP-51を受賞。2001年に俳優のトム・クルーズ Tom Cruiseが所有。2006年にトム・クルーズがP-51 トレーニングとソロ。2006年に“キス・ミー・ケイト Kiss Me Kate”に塗装変更。2012年2月29日にN51EW、カリフォルニア州ロサンゼルスのVallhalla Aviation, Inc. に登録。2021年に映画会社パラマウントの映画「トップガン マーヴェリック Top Gun: Maverick」でクルーズがP-51を使用
P-51D-20-NT 44-12853〜44-13252
(c/n 111-36136〜111-36535)
◎400機
P-51D-5-NA 44-13253〜44-14052
(c/n 109-26886〜109-27685)
◎800機 ◎空母試験用にアレスター・フックを装備した14017。“プロジェクト・シーホース”空母搭載試験のため、テキサス州ダラスのノース・アメリカン・エヴィエーションに引き取られる。空母搭載用に改造されETF 51Dとなる。1944年9月、初期試験のためペンシルヴェニア州Mustin Fieldから1944年9月から10月にかけて、150回近い発艦・着艦のシミュレーションを行った。ヴァージニア沖でシェイクダウン巡航中の航空母艦シャングリラ Shangri-La(CV-38)に移乗。1944年11月15日、同機はP-51初の空母着艦を行った。11月15日がシャングリラにとって特別な日であったことは興味深い。同艦で飛行作戦が開始された日である。また同日、PBJ(米海軍版B-25爆撃機)が初めて空母に着艦し、発艦した。空母適性試験は短く、わずか25回の着艦と発艦が行われただけだった。1945年初めまでに、沖縄と硫黄島は占領された。これらの飛行場は直ちに米軍に占領され、戦闘機部隊に日本本土への爆撃機を護衛するための基地を提供した。海軍化されたP-51はもはや必要とされず、計画はそれ以上進むことはなかった。1945年1月18日から1952年6月5日まで、ヴァージニア州ラングリー・フィールドのNACAラングリー記念航空研究所 NACA Langley Memorial Aeronautical Laboratory(のちにNACAラングリー研究センター NACA Langley Research Centerと改称)に配属。NACA 102として登録。米空軍モービル基地へ。ニュー・ヨーク州ミッチェル空軍基地 Mitchel AFBの第2500任務支援群 2500th Mission Support Group、第2500整備飛行隊 2500th Maintenance Squadron。1953年12月10日にDCのボリングAFB Bolling AFBに不時着。この機体はしばしばBu.No. 57987と混同されるが、実際には英国からの発注を流用した先代P-51(41-37426)であった
P-51D-10-NA 44-14053〜44-14852
(c/n 109-27686〜109-28485)
◎800機
P-51D-15-NA 44-14853〜44-15752
(c/n 109-28486〜109-28885、109-35536〜109-36035)
◎900機 ◎1946年にNo. NX79111として民間登録された44-15651は、アメフトのスター選手レッド・グランジ Red Grangeのニックネームである“The Galloping Ghost”と命名された。1946年トンプソン・トロフィー・レース Thompson Trophy Race.に出場。1990年、No. N79111として飛行可能であることが報告される。1963年に“Miss Candace”としてレース用に改修。1970年のレースで不時着し破損。 キャノピーを小さくし、腹部冷却スクープを小さくして再建。1979年に“ジーニー Jeannie”と改名。ふたたびレストア。1983年に売却され、“スペクター Specter”と改名。2011年9月16日に“ギャロッピング・ゴースト The Galloping Ghost”としてリノ・エアレースで群衆に墜落。最初の報告によると、機体は速度上昇中にエレヴェーター・トリム・タブを失い、コントロールを失った可能性がある。パイロット死亡、地上9名、負傷者70名

(↑No. 69、民間登録No. NX79111、"Jeannie")
1944年12月8日にイギリスのケンブリッジシャーのスティープル・モーデン空軍基地 RAF Steeple Mordenにて44-15652(第8航空軍 8th AF、第355戦闘航空群 355th FG、第354戦闘飛行隊 354th FS所属)が離陸事故。パイロットは生存、機体は大破。1950年にハイチ空軍に引き渡され、修理されたに違いない
P-51D-20-NA 44-63160〜44-64159
(c/n 122-30886〜122-31885)
◎1,000機
P-51H-1-NA 44-64160〜44-64179
(c/n 126-37586〜126-37605)
◎20機
P-51H-5-NA 44-64180〜44-64459
(c/n 126-37606〜126-37885)
◎280機
P-51H-10-NA 44-64460〜44-64714
(c/n 126-37886〜126-38140)
◎255機
P-51H-NA 44-64715〜44-65159(キャンセル) ◎445機
P-51D-20-NA 44-72027〜44-72626
(c/n 122-31886〜122-31985、122-38586〜122-39085)
◎600機
P-51D-25-NA 44-72627〜44-74226
(c/n 122-39086〜122-40085、122-40167〜122-40766)
◎1,600機 ◎44-73415(c/n 122-39874)は余剰とされ、1950年9月13日にグレンデールフィールド Glendale FieldのAMCに保管される。1951年2月8日に9289としてカナダ空軍へ。1958年7月に余剰を宣言。民間登録No. N6526D、N551VCとしてカリフォルニア州ディクソンのButton Transportation, Inc. に民間機として登録される。1962年2月15日にヴァージニア州リッチモンドにて墜落。1958年以降、2人乗りに変更。1977年3月19日にワシントン州オリンピアにて離陸中に墜落、パイロットと乗客が死亡。のちにN6526D AURIの機体を使ってレストア。一時は“ヴードゥー・チリ Voodoo Chile”(N551VC)と名付けられたレーサーとして改造された。いくつかの資料によると、N6526Dは英空軍博物館に収蔵され、長年にわたり413573として塗装され、ヘンドンに展示されていた。RAFの“簿記”ID RAF 'bookkeeping' identityは9133Mである(この機体は名目上RAFの担当であるため、RAFのシリアルを持っていなければならない-このような“簿記”IDは通常、地上教導任務に降格された機体に割り当てられる“M-suffix”シリーズから割り当てられる)。この機体は最近、ヘンドンからコスフォードの空軍博物館に移された。1989年4月20日にハルトン空軍基地で式典が行われ、英空軍博物館に引き渡された。2009年に撮影されたN551VCの写真を見たことがあるので、英空軍博物館の機体は44-73415ではないかもしれない。2013年リノ・エアレースに参加したN551VDは“ヴードゥー Voodoo”と名付けられ、現在も活躍している

(↑No. 5、民間登録No. N551VD、"Voodoo")
P-51D-30-NA 44-74227〜44-75026
(c/n 122-40767〜122-41566)
◎800機 ◎44-74536はNo. N5452V、N991RC、N991Rとして民間登録され、アンリミテッド・エア・レーサー unlimited air racerの“ミス・アメリカ Miss America”に改造された。1990年に民間登録No. N991Kとして飛行可能であることが報告された。2012年10月にオクラホマ・シティの Oklahoma Museum of Flyingにて民間登録No. N991R“ミス・アメリカ”として展示された

(↑No. 11、民間登録No. N99R、"Miss America")
◎No. N68QFとして民間登録された44-74756機。1976年6月16日にモハーヴェ・エア・レース Mojave Air Racesにてモハ−ヴェ空港に進入中に墜落。パイロットは死亡
XP-51J 44-76027、44-76028
(c/n 105-47446、105-47447)
◎2機 最初の2機のB-25J(c/n 108-47446、108-47447)と同じc/n
P-51D-25-NT 44-8439〜44-84989
(c/n 124-44246〜124-44845)
◎551機 44-84651〜44-84654、44-84660、44-84662、44-84663、44-84665〜44-84670、44-84676をテムコ製デュアル・コントロール練習機に改良
P-51L-NT 44-91004〜44-92003(キャンセル) ◎1,000機
P-51D-25-NT 45-11343〜45-11542
(c/n 124-48096〜124-48295)
◎200機
P-51D-30-NT 45-11543〜45-11742
(c/n 124-48296〜124-48495)
◎200機
P-51M 45-11743
(c/n 124-48496)
◎1機
P-51M 45-11744〜45-12742(キャンセル)
(c/n 124-48497〜124-49495)
◎1機


Update 24/08/12